「ブロンズコレクター」
それは皮肉なのか。
それとも賞賛なのか。
この言葉をどう受け取るかは、
ナイスネイチャをリアルタイムで見ていた人と、
そうでない人で、きっと違う。
1991年。
1992年。
1993年。
日本競馬最大の舞台――有馬記念。
ナイスネイチャは
三年連続で三着だった。
勝てない。
だが、負けてもいない。
年末の中山競馬場。
スタンドが揺れるほどの歓声。
先頭争いの馬たちの背中を、
ナイスネイチャは必死に追う。
ゴール板を駆け抜ける。
掲示板に映る数字。
3
また三着だ。
その結果を見た人々は
彼をこう呼んだ。
「ブロンズコレクター」
だが、ふと思う。
三位とは
本当に低い評価なのだろうか。
世の中には
三位どころか、
挑戦する舞台にすら
立てない人もいる。
それでも人は言う。
「一位じゃなきゃ意味がない」
本当にそうなのだろうか。
何度負けても、
何度届かなくても、
またゲートに入る。
また走る。
その姿は
なぜか格好良く見える。
努力が報われない自分を
どこか重ねてしまうからだろうか。
いや、これはただの
判官贔屓なのかもしれない。
勝者ではない者を
美化しているだけなのかもしれない。
だが、それでも思う。
「ブロンズコレクター」
もしこの称号が賞賛だとしても――
それは本当に
ナイスネイチャにとって
嬉しい言葉だったのだろうか。
だが、この物語は
1990年代の競馬で終わらなかった。
三十年後。
ナイスネイチャの名前は
再び多くの人に知られることになる。
『ウマ娘 プリティーダービー』
競走馬たちをモチーフにした物語の中で、
ナイスネイチャは
少し皮肉屋で、
少し自信がなくて、
どこか達観したキャラクターとして描かれる。
「どうせ私は主役じゃないし」
そんな言葉に
多くの人が共感した。
それは
勝者の物語ではなく
届かなかった者の物語
だったからだ。
そしてこの物語は
現実にも影響を与える。
ナイスネイチャの誕生日に合わせて行われる
引退馬支援の寄付活動。
そこには
「3333円」という数字が多いという。
三年連続三着。
あの記録にちなんだ
小さな祈りのような数字だ。
ナイスネイチャは
確かにGⅠを勝てなかった。
だが彼が後世に残したものは、
ナンバーワンの栄光ではなく、
ナンバーワンでは決して残すことのできない
オンリーワンの価値
だった。
たとえこの賞賛を
ナイスネイチャ自身が望んでいなかったとしても、
彼が残した功績と感動は
計り知れない。
勝てなかった馬。
だがその名前は今、
多くの馬と人の未来を動かしている。
哲学的考察①
勝者の価値と、記憶に残る価値
スポーツの世界では
価値はとても単純だ。
一位が正義。
記録は勝者の名前で埋まり、
歴史の教科書に残るのも
ほとんどが勝者である。
だが不思議なことがある。
必ずしも
人々の記憶に残るのは
勝者とは限らない。
ナイスネイチャは
GIを勝っていない。
有馬記念でも
三年連続三着だった。
それでも彼は
多くの競馬ファンに記憶され、
三十年後には新しい世代にも知られる存在となった。
なぜなのだろうか。
それは人間の物語が
単なる勝敗ではなく
「共感」
によって記憶されるからだ。
ナイスネイチャは
最強の馬ではない。
だが、
「届かなかった者」
の象徴だった。
人はそこに
自分の姿を見る。
勝てなかった経験。
届かなかった夢。
それでも続けた努力。
ナイスネイチャは
勝者ではない物語
を体現していた。
だからこそ
多くの人が彼を覚えている。
哲学的考察②
ナンバーワンとオンリーワン
社会は
ナンバーワンを称える。
だが人間の価値は
本当にそれだけなのだろうか。
ナイスネイチャの誕生日には
毎年多くの寄付が集まる。
その中には
「3333円」
という寄付額が多いという。
三年連続三着。
その記録にちなんだ
小さな祈りのような数字である。
この寄付は
引退した競走馬たちの生活を支える
支援活動に使われている。
つまりナイスネイチャは
レースでは
一度も頂点に立たなかった。
だが彼の名前は今
多くの馬の未来を
支えている。
これは
ナンバーワンの価値ではない。
オンリーワンの価値だ。
勝者の記録は
そのレースで終わることもある。
しかし
ナイスネイチャが残した物語は
三十年以上経った今も続いている。
勝者の栄光は
歴史に残る。
だが、
共感の物語は
人の心に残る。
ナイスネイチャが残した価値は
まさにその後者だった。
哲学者マッチング
アリストテレス
徳倫理(アレテー)
アリストテレスは
人間の価値を
「勝敗」ではなく
どのように生きたか
で考えた。
何度敗れても
挑戦を続ける。
その姿勢こそが
徳である。
ナイスネイチャの価値は
まさにこの
継続する徳
にある。
フリードリヒ・ニーチェ
超克(乗り越える存在)
ニーチェは言う。
人間の価値は
勝つことではなく
自分を乗り越えること
にある。
ナイスネイチャは
勝てなかった。
それでも
何度も走り続けた。
その姿は
勝利ではなく
挑戦そのものの価値
を示している。
アラスデア・マクィンタイア
人間は物語を生きる存在
マクィンタイアは言う。
人間の人生は
単なる出来事ではなく
物語
として理解される。
ナイスネイチャの価値は
戦績ではなく
その物語にある。
三着の記録。
そして
三十年後の寄付活動。
この長い物語こそが
彼を特別な存在にした。
余韻
三年連続三着。
数字だけ見れば、
同じ結果だ。
文章にすれば
たった一行で終わる。
3年連続3着。
ナイスネイチャは
1991年から1993年の有馬記念で
三年続けて三着だった。
だが――
本当に
それは同じ三着だったのだろうか。
一年目のナイスネイチャ。
二年目のナイスネイチャ。
三年目のナイスネイチャ。
同じ馬でありながら、
同じ三着でありながら、
そこに至るまでの
時間も、経験も、努力も
決して同じではない。
ナイスネイチャは
毎年少しずつ変わりながら
再び有馬記念の舞台へ
戻ってきた。
それでも結果は
三着。
世の中は
その数字だけを見て
同じ結果だと言う。
だが私たちは
その数字の奥にあるものを
見ていたのではないだろうか。
昨日より少しだけ前へ進んだ姿。
昨日より少しだけ強くなった姿。
ナイスネイチャの走りに
私たちは
自分自身の人生を重ねた。
三年連続三着。
それは
勝者の記録ではない。
だがそこには
昨日の自分を超え続ける物語
があった。
ナイスネイチャは
確かにGⅠを勝てなかった。
それでも
彼が残したものは
栄光ではなく、
成長の物語だった。
人生とは
誰かに勝つことではなく、
昨日の自分に
少しだけ勝つことなのかもしれない。
そしてその物語は今も、
多くの人の心の中で
静かに走り続けている。
ナイスネイチャは、勝てなかった名馬ではない。
昨日の自分に勝ち続けた名馬だったのかもしれない



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