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ヴィランとして走ったヒーロー――ライスシャワーという物語

スポーツ

導入 ヴィランとして走ったヒーロー

ミホノブルボン。
メジロマックイーン。

競馬史に名を残す
二頭のスター。

無敗三冠。
天皇賞三連覇。

多くの人が
その瞬間を待っていた。

競馬ファンだけではない。
テレビの前の人々も
新聞を開く人々も

皆が同じ未来を
思い描いていた。

歴史が生まれる瞬間を。

だが――

その夢を
二度止めた馬がいた。

ライスシャワー。

ヒーローとヴィラン。
勇者と魔王。
主役と敵。

物語には
必ず二つの役割がある。

そしてライスシャワーは
いつも後者だった。

三冠を止めた。
三連覇を止めた。

競技という
公正な舞台で

正々堂々と走り
そして勝利した。

だが――

歓声は
上がらなかった。

スタンドに広がったのは
歓喜ではなく
どこか重たい沈黙だった。

称賛ではなく落胆。
祝福ではなくため息。

人々は彼を

「黒い刺客」

と呼んだ。

だがライスシャワーは
巨大な怪物ではない。

むしろ
小柄な馬だった。
当時の関係者も「男馬にしては体が小さい」と語っている。

そして――
いつも勝つ馬でもなかった。

生涯成績は
25戦6勝。

決して
圧倒的な王者ではない。

だがそれでも
歴史がかかった舞台では
必ず現れた。

三冠の夢を止め
王者の連覇を止めた。

小さな体で
大きすぎる物語を
二度止めた。

もしかすると
ライスシャワーは

栄光のために
勝つ馬ではなかったのかもしれない。

ただ
誰かの夢が
かかったその瞬間に

走ることを
やめなかっただけなのかもしれない。

もしかしたら
ライスシャワーは

大切な誰かのためにしか
勝てない馬だったのかもしれない。

そして三十年後――

ウマ娘 プリティーダービーの世界で描かれたライスシャワーは

勝つことで
誰かの夢を壊してしまうことを
恐れる少女だった。

「ライス……また
みんなの夢を壊しちゃった……」

彼女は
自分が走ることで
誰かを不幸にしてしまうと
信じている。

臆病で
弱気で
すぐに泣いてしまう。

だが――
誰かのためなら
必死に走る少女でもあった。

それはまるで

現実のライスシャワーが
背負っていた物語を

そのまま
心に宿したような姿だった。

それでも
ライスシャワーは走った。

歓声がなくても
悪役と呼ばれても

全力で
走り続けた。

ライスシャワーは
悪役だったのだろうか。

それとも
ただ勝っただけの馬だったのだろうか。

いや――

もしかするとこれは

ヴィランの物語であり、
同時にヒーローの物語でもあったのかもしれない。

哲学的考察――社会はなぜライスシャワーを悪役にしたのか

ライスシャワーは
圧倒的な王者ではなかった。

生涯成績は
25戦6勝

この数字だけを見れば
歴史的名馬と呼ばれる馬たちと比べて
突出した戦績とは言えない。

しかしその6勝の中には

  • 菊花賞
  • 天皇賞(春)
  • 天皇賞(春)

という
三つのGⅠが含まれている。

しかもそれは

  • 無敗三冠を狙う
    ミホノブルボン
  • 三連覇を狙う
    メジロマックイーン

という

“物語の主役”

を止めたレースだった。

その結果
ライスシャワーは

「黒い刺客」

と呼ばれることになる。


社会心理――人は「物語」を守ろうとする

スポーツは本来
公平な競争である。

速い者が勝つ。
強い者が勝つ。

それだけだ。

だが観客は
そこに物語を求める。

無敗三冠。
連覇。
伝説。

人は

「歴史が生まれる瞬間」

を見るために
スポーツを観る。

だからこそ

その物語を壊す存在は
歓迎されない。

たとえ
それが

正しい勝利

だったとしても。

ライスシャワーは
まさにその役割を背負った馬だった。

彼は

ズルをしたわけでも
反則をしたわけでもない。

ただ

正々堂々と勝った。

それだけだった。

それでも
彼は

ヒーローではなく
ヴィランになった。


心理的要因 ――なぜライスシャワーは大舞台で勝ったのか

ここで一つ
興味深い事実がある。

ライスシャワーの重賞勝利は
すべて

長距離レース

である。

彼は
短距離のスターではなく

ステイヤー

だった。

長距離レースは
瞬発力ではなく

  • 持久力
  • 忍耐
  • 勝負根性

が問われる競技である。

そしてライスシャワーは
勝負根性の強い馬として
知られていた。

つまり彼は

常に速い馬ではない。

だが

条件が揃ったときだけ
恐ろしく強い馬

だった。

そしてその条件が

  • 長距離
  • 厳しい展開
  • 強い相手

だった。

結果として

三冠の舞台も
三連覇の舞台も

ライスシャワーが最も強い条件

だったのである。


ウマ娘から見える心理

ウマ娘 プリティーダービーで描かれた
ライスシャワーは

  • 臆病
  • 自己評価が低い
  • 「自分は不幸を呼ぶ」と思っている

少女として描かれている。

しかし同時に

誰かのためなら必死に走る

存在でもある。

この描写は
史実のライスシャワーの物語を

象徴的に翻訳したもの
とも言えるだろう。

ライスシャワーは

栄光のために走る馬ではなかった。

称賛のためでもない。

ただ

そのレースに
意味があるときだけ

全力で走った。


哲学的結論

ライスシャワーは
英雄の夢を壊した馬だったのかもしれない。

だがそれは

夢を壊すためではない。

ただ

全力で走った結果だった。

そして

その勝利が
たまたま

誰かの物語を終わらせる瞬間

だっただけなのだ。

哲学者マッチング

① セーレン・キェルケゴール 「群衆は常に誤る」

キェルケゴールの思想の中心は

個人 vs 群衆

です。

彼はこう言います。

群衆は真理ではない。

つまり

  • 世論
  • 多数派
  • 社会の評価

これらは必ずしも
本質を見ていない

ライスシャワーの状況はまさにこれです。

彼は

  • 不正もしていない
  • 正々堂々と勝った

それでも

  • 「黒い刺客」
  • 悪役

と呼ばれた。

これは

社会が作った評価であって
本質ではない。

キェルケゴール的に言うと

ライスシャワーは

群衆に誤解された個人

です。


② アルベール・カミュ 「不条理の英雄」

カミュの思想の中心は

不条理(absurd)

です。

世界は

  • 理不尽
  • 理屈通りにならない

それでも人は
行動するしかない。

この状態をカミュは

不条理

と呼びました。

そして

理不尽な世界でも
行動し続ける存在を

不条理の英雄

と呼びます。

ライスシャワーは

  • 勝った
  • しかし祝福されなかった

これは完全に

不条理

です。

それでも彼は

走り続けた。

カミュ的に言えば

ライスシャワーは

不条理の中で走る存在

になります。

エピローグ――最後のレース

1995年。

春の天皇賞を制し、
ライスシャワーは
再び大舞台に戻ってきた。

次のレースは
宝塚記念。

ファン投票で
出走馬が選ばれるレースである。

かつて
「黒い刺客」と呼ばれた馬は

その年

多くのファンの投票によって
ターフに立っていた。

三冠を止めた馬。
三連覇を止めた馬。

かつて
ヒーローの夢を壊した馬が

今度は
ファンに選ばれて
走ろうとしていた。

それは
少し不思議な光景だった。


レースは
静かに進んでいった。

だが――

三コーナー。

ライスシャワーの体が
突然
崩れ落ちた。

スタンドが
どよめく。

左前脚の粉砕骨折。

回復の可能性はなく
彼は
その場で安楽死となった。

まだ
六歳だった。


これが漫画なら

悪役が改心したあと
これまでの行いの報いとして
描かれる出来事だったのかもしれない。

だが
ライスシャワーは
悪役ではなかった。

誰かの夢を
壊すために走ったわけではない。

ただ
全力で走っただけだった。


ヒーローとヴィラン。

勇者と魔王。

物語には
二つの役割がある。

ライスシャワーは
長い間

ヴィランとして走り続けた。

だが
最後のレースの日

スタンドから聞こえたのは

ため息ではなく
歓声だった。


ライスシャワーは
ヒーローだったのかもしれない。

ただ――

それに
気づくのが

少し
遅かっただけなのだ。


それでも
ライスシャワーは走った。

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